バース・ミッション

<ファイナル・ハート続編>   *2007.7.25〜9.15*

〜絶望こそが生まれた理由(わけ)。
そしてそれが使命(バース・ミッション)だった。〜      

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1*エナン
 空に曙色の光がにじんできた。
 エナンは遺跡の前の石柱の影に座り込み、それを望んでいた。
(もう帰らなきゃ・・。)
 それでも立ち去りがたいのは、イリュに会えなかったからだ。
 遺跡の神事があるときは、イリュはだれにも会わない。それでもエナンはカリフに殴られるとどこにも行くところがなくて遺跡に来てしまう。
 山並に囲まれてエナンの住むペキニの街は広々と開けていた。
 その街から砂漠を超えて半日以上かけてエナンはイリュのいる聖エトナの遺跡に来ていた。
 子どもの足では遠い道のりだった。
 イリュがそのやわらかい手で「どうしたの?」とあたたかく頬を包んでくれるだけで、母のいないエナンは痛みを忘れた。
 ひとつ、ため息をつくと、寒さと切なさで鼻をすすりながらエナンはしかたなく遺跡を後にした。

「きのうからどこ行ってやがったんだ。めしを食ったら稼ぎに行くぞ!」
 エナンを殴ったことなんか忘れたようにカリフはそう言ってあごで鍋を示す。
 エナンはカリフの分を皿につぎ、テーブルに運ぶと、自分の分も皿に盛った。おとといエナンが作ったスウプだった。
「またイリュか?遺跡に行ってたのか?」
 うなずく。
 カリフは不機嫌そうに嘆息した。
「どうせ会えやしないのに。砂漠は夜越えるなよ。呪われる。いいな。」
「遺跡で夜を明かした。」
 カリフはもう返事をしなかった。

 街に出ると、市場の雑踏でカリフはエナンの背中を押した。
「あいつだ。」
 エナンはカリフがその太った商人にねらいを定めたのを見てとると、そばまで寄っていき声をかけた。
「おじさん、両替え商を探してるんならぼくのかあさんとこ来てよ。他より高く替えるから。ぼくんち病気の妹がいて施薬院へ行くんだ。今日は早く店仕舞いしたいんだ。急ぐんだ。たのむよ、こっち。」
 南から来たらしい商人はエナンに手を引かれて路地裏に入った。
 そこでカリフに後ろから殴りつけられて、あっけなく気絶した。そして持っていた南の金貨を根こそぎ巻き上げられてしまった。
「今日はついてるな。仕事は終わりだ。」
 カリフは上機嫌になってエナンをうながした。
 路地には大きなおなかを天に向けてひっくり返っている商人が、ひとり残された。
「これで麦粉や発酵酒を買っとけ。」
「カリフは?」
「おれはいつものところへ行ってくる。」
 そう言ってカリフは金貨の大半を持って意気揚々と人混みに消えていった。
 しばらくその姿を見送ってから、エナンは歩き出した。
 麦屋で麦粉を買った。
「エナン。元気がないね。カリフはまた酒場かい?」
 小さくうなずくと店を出た。
 エナンがカリフの元に居着いてから3年半経とうとしていた。

 エナンは自分のほんとの年がわからない。
 北の峯の奥で病いが流行って村がひとつなくなるくらい人が死んだとき、両親も親戚も死んで、身寄りがなくなった。
 腹をすかせて峰の奥から山を下ってきた。物乞いをして、村から村へとさまよった。
 おそらく8歳くらいの頃だ。親のいる子供は学問所に入る頃だったが、エナンは人の家の軒先やあばら家を転々としながら北の峯の方から寒さをしのぐためにペキニの街へと降りてきた。
 大きな街は初めてだった。
 人の多さにも戸惑った。
 人は多くても、道端の子供に目をやる者は少なかった。
 たとえ視線を送られても、そこには蔑みと哀れみと面倒は御免だという気持ちの入り混じった冷ややかなものだったりした。
 エナンの身なりはそれほどひどかった。
 人に声をかけようとしても、人は歩みをゆるめない。
 食べ物のにおいにつられて市場にさまよいこむ。丸二日物を口にしていなかった。
 揚げマムの屋台があった。麦粉を薄く伸ばして揚げたマムに黒糖をまぶしてある。
 店の者が目を離したすきに、エナンは揚げマムをつかんだ。
 隣の店の者が大声をあげた。
「泥棒!」
 エナンは走った。空腹で目が回ったが、足をもつれさせながら夢中で走った。
 辻から飛び出した。
 目の前に馬車が迫った。
 驚いて悲鳴をあげた。
 大声をあげる御者の引きつった顔があった。
 その瞬間誰かに抱きかかえられて路地に転がり込んだ。
 馬車は通り過ぎ、人々の声を遠くに聞いた。
「おい。」
 男の声がした。
 うっすらと目を開けた目の前に、無精髭の男の瞳があった。人相は恐かったが、その瞳は思いのほか恐くなかった。
「・・・。」
「来い。追われてるんだろ?こっちだ。」
 エナンは男について裏路地から裏路地へと抜けた。そうして街はずれの男の小さな小屋にたどり着いた。
「ひでぇ格好だ。まぁ、オレもそうだった。」
「おじさんも?」
「カリフと呼べ。名はなんという?」
「エナン・・。」
「身寄りはないのか?」
 エナンはうなずいた。
「なんとでもなる。オレもそうして生きてきた。頭を洗って体をふけ。」
 カリフは笑わなかったが、エナンは初めて人を自分に近く感じた。
 不器用に頭を洗っていると、カリフがやってきて頭をしごいた。服を脱がせてからだも拭いてくれた。そして自分の上着を持って来てエナンにはおらせると、マムを湯に入れてふやかしたものをくれた。
「すきっ腹に揚げマムはよせ。腹を下す。」
 あとはたいしてしゃべらずに、自分は発酵酒を飲み出している。
 エナンはそれまで涙を流したことがなかった。あまりにも生きることだけにせいいっぱいで、涙を流すことすらできなかったのだ。
 だけど、このマムは今まで食べたどんなものよりも旨かった。
 ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら、エナンはマムを口にした。
 カリフはそんなエナンに気づいているのかいないのか、黙って酒を飲み続けた。
 その夜は部屋の隅の毛布にくるまって、エナンは深く寝息を立てた。
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2*カリフ
 陽も高くなった頃、カリフの声で目を覚ました。
「おい。オレは出かける。」
「どこ行くの?」
「今日の稼ぎがねえと明日のおまんまが食えねえだろ。」
「・・。」
「食ったらどこへでも好きなところへ行け。服は外だ。」
 カリフはそういって扉を開けて出ていった。
 テーブルには角ヤギのミルクと、マムが乗っている。
 エナンはむさぼるようにそれを頬張った。
 一息つくと表に出た。
 自分の擦り切れた服が洗って干してあった。
 午後の日差しはきつく、すでに乾いている。
 エナンはそれを身につけると路地を出た。出たところにいた中年の女に問いかけた。
「カリフを知らない?」
「カリフならまた賭博場だろ。」
「それどこ?」
「骨董街の奥だよ。」
 走ると髪に風があたって気持ちいい。
 思い出す限りずいぶん頭を洗っていなかったエナンは、頭の軽さに思わずステップを踏んだ。カリフがごしごし洗ってくれたその大きな手のひらの感触を思い出しながら。

 賭博場は一見ただの酒場だ。だが、その奥の階段を降りた地下の小部屋では昼でも賭博が行なわれていた。
 エナンは男たちに紛れて階段を降りた。階段の途中の手すりからその部屋全体が望める。そこに座り込んだ。
 カリフはテーブルの向こう側で意気揚々と銀貨を積み上げていた。
 しばらくやりとりを眺めることにエナンは時を忘れた。
 見ているとカリフは前半の調子のよさとは裏腹に、その銀貨の山はみるみる崩されていき、それにつれてイライラと険しい顔をするようになった。
 エナンの位置からは相手のカードが丸見えだ。その相手のカードの絵柄がなんだとカリフが難しい顔をし、なんだと笑顔になるのかがだんだん分かってきた。
 カリフが笑った時と同じ絵柄のカードがまた現れた。エナンはすばやく階段を降りて大人達の間をすり抜けカリフのそばに寄ると、袖を引いてカリフだけに聞こえるよう小声でささやいた。
「あいつ、蜘蛛持ってる。」
 一瞬なんのことか分からなかったカリフだったが、エナンの顔を見てすぐに悟り、最後にありったけの銀貨を賭けて勝負に出た。
 カリフは勝った。
「おまえ、やるじゃないか。」
 カリフは上機嫌だった。エナンに新しい服と黒糖の菓子を買ってくれた。
 エナンはうれしかった。服を買ってもらったことよりも、食べたことのない黒糖菓子が旨いことよりも、カリフがうれしそうな顔をするのがなによりうれしかった。
 
 カリフはどこか冷めたところがある。
 だから、しらふの時はよけいなケンカはしなかった。
 けれども酒が入った時はそうじゃなかった。腕っぷしが強いことをエナンは早い時期に知った。
 カリフは少しでも金が入ると酒場に行ってしまう。
 いつまで経っても帰らないカリフを探して、ある晩、夜も更けた街をエナンは酒場に向かった。案の定、酒場で悪仲間と深酒をしているカリフを見つけた。
 店に入ろうとして、自分の名前が耳に入り、エナンは足を止めた。
 仲間の男が言っていた。
「・・おまえらしくもねぇ。エナンっていったか?どうするんだ?あんな小僧の面倒なんかみてよ。」
 色の黒い別の男が笑いながら言った。
「売り飛ばしゃ金になるじゃねぇか。あと2、3年もすりゃもっと高く人買いに売れる。なぁ、そうだろ?」
 その時、黙って酒を飲んでいたカリフは急に立ち上がると笑った男の胸ぐらをつかんで殴り飛ばした。
 止めようとしたもうひとりの男も殴り、酒場は物が壊れる音と悲鳴とで騒然とした。
 立ち上がった男たちと、酒場の他の連中とも揉み合いになり、気がついたら4、5人の男を倒して、カリフはふらつきながら店を出ていった。
 店の女が、笑った男に告げた。
「あんたが悪いよ。カリフは人買いに売られたことがあるんだ。」
 店の外から一部始終を見ていたエナンはカリフの後を追った。
 月明かりの下、カリフの大きな背中を見つめながら、エナンは後ろを歩く。
 しばらく歩いていると、ふいにカリフが振り返った。
「何ほっつき歩いてる?」
「・・人買いに売られたことがあるの?」
 カリフは答えずにまた前を向いて歩いた。
「・・こわかった?」
 立ち止まって急に振り返るとカリフは両手を拡げて吠えた。
「うおおおー!!」
 エナンは驚いて飛び上がった。
「くっくっくっく・・。」
 カリフが笑うのを初めて見た。
 もう一度吠えながらカリフはエナンを追ってくる。歓声を上げながらエナンは逃げまどった。
 ふたりの影は月に照らされて、笑い声とともにいつまでも踊っていた。
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3*イリュ
 カリフは盗みを働いたり、博打で稼いだり、すりや置き引き、詐欺、ゆすりたかりとまともな仕事は一切せず、その日暮らしをしていた。
 エナンはそんな仕事ばかり覚えていった。
 しばらく暮らすと、エナンはカリフが酒を飲むとちょっとしたことで荒れることがわかった。そんな時によけいな口を聞くと、殴られてしまう。
 カリフは何かを忘れようとして酒を飲む。だが、その酒はむしろその何かを思い出させていらいらを募らせるようだった。
 それでも、エナンは酒場でエナンのことで男を殴ってくれたことを忘れなかった。あの晩の楽しかったカリフも。

 半年ほど前のことだ。
 カリフは酒場から夜遅くもどると、翌日は昼まで寝た。そして午後になると今度はエナンを使ってゆすりをすることを思いついた。 
 街はずれの街道筋で、馬や馬車に引かれたふりをしてその相手から金を巻き上げるのだ。
 エナンの服をあらかじめアカシの実で赤く汚し、顔にも血のように見せかける。
 通りかかった馬車に大きめの石を投げつけてカリフが止める。そして息子を引いた、どうしてくれると大袈裟に振る舞うのだ。
 ひとりは逃げた。ひとりは体格がいいのをかさに来てかえって開き直って払わなかった。
 カリフは面倒になって相手を見送った。
「案外うまくいかねぇな。薄情なやつらだ。」
 もうあきらめようと思った陽も暮れかかった頃、馬の蹄の音がした。
「エナン、これで今日は店仕舞いだ。うまくやれ。」
 カリフが投げた石に驚いて馬は前足を高くあげていなないた。
 マントを被った乗り手はその勢いで馬から落ちた。
「ちっ。落ちやがった。」
 カリフとエナンは様子をうかがいながら落ちた人間のそばに近づいていった。
 マントが脱げて美しい長い髪がこぼれた。
「エントナ!」
 馬を呼んだ。馬はおとなしく乗り手のそばにもどってきた。
「大丈夫ね?」
 馬の鼻をなでながら、彼女は振り返ってそばに立つカリフとエナンに気がついた。
 エナンの姿を見て驚いて立ち上がった。
「エントナとぶつかったの?」
 カリフはその美しい女性に思わず言葉を失った。
 エナンはカリフに替わって馬を指差して言った。
「その馬に蹴飛ばされた。」
「大変!施薬院へ行きましょう!」
「・・それにはおよばねぇ。」
 カリフはやっとそれだけつぶやいたがエナンは言った。
「施薬院へ行くお金をくれれば自分で行く。」
 彼女はふと何かに気づいたように黙り、そしてかすかにうなずいた。エナンの頬を両手で包むと、にっこりと微笑んだ。
「待って。」
 そういって懐から首に下げた袋を取り出して、中から銀貨を1枚つかむとエナンの手ににぎらせた。
「少ないけど。」
 そう言ってエントナにまたがると、カリフに会釈して走り去った。
「やったね!うまくいったよ!」
 エナンははしゃいだが、カリフはうかぬ顔をした。
「どうしたの?」
「ばれてる。・・おまえをかわいそうに思って恵んでくれたんだ。」
 そう言って歩き出した。
「帰るぞ。」
 エナンはカリフがうれしそうでないので黙った。それでも、うつくしい白い手の感触を思い出すと胸に小さなあたたかい灯りが灯るようだった。銀貨をにぎりしめた。

「しばらくおまえはおとなしく留守番してろ。」
「今度は何の仕事?」
「用心棒だ。子供の出る幕じゃない。オレがもどるまでこれで食ってろ。」
 そう言ってカリフは銀貨を3枚テーブルに置いて家を出た。
 今度カリフが雇われたのは街の金持ちのせがれの用心棒だった。
 そのせがれはあまり評判が良くなかった。親の金をかさに来て、あちこちでいさかいを起こし、敵が多かった。その敵から身を守るために親が雇った用心棒だった。
 カリフは正義がどうだとか、そういうことには一切興味がなかった。自分の自由が奪われない程度にとにかく金が稼げればなんでもした。
 カリフを紹介したのは酒場の主人だった。
 金でいうことを聞き、腕っぷしの強い男としてカリフは紹介された。
「イサウぼっちゃんだ。頼んだぞ、カリフ。」
 カリフはうなずいた。
 イサウは取り巻きたちとカリフを品定めするようにじろっと見つめるとにやりと笑って言った。
「来いよ。どんな腕っぷしか、オレの取り巻きが試してやるよ。」
 街はずれの街道沿いまで来た。
 カリフはふと、思い出した。
(ここは、あの馬が通ったところだ・・。)
 カリフとエナンがエントナの主人に出会ったところだった。
(馬の蹄が響いてきたっけ・・。)
 思い出している頭に、馬の蹄の音が響いてきた。
(そう、こんな風に・・。)
 カリフは振り返った。
 振り向いたカリフの目にエントナがマントを羽織った主人を乗せて走って来るのが目に入った。
(何!?)
「おい!」
 イサウの興味は走ってくる馬の方に移った。
 取り巻きたちはエントナの前に立ちはだかって、その足を止めさせた。
「いい馬に乗ってるな?ちょっと乗らしてくれ。」
 手綱を引いた乗り手は首を振った。
「エントナはわたし以外の言うことは聞かない。」
 声が思いのほか美しいのにイサウは気がついて顔を覗き込んだ。
「いい女じゃないか!ちょっと降りて顔をよく見せろ!」
 取り巻きはエントナの手綱を取って押さえ込み、女性の腕をとって引きずり降ろし、マントを取った。
 カリフが声を失ったように、イサウたちも言葉を発するのを一瞬忘れた。
「馬もいいが、こいつは拾いものだ。気に入った。連れてけ。」
「何をする。離せ!」
 叫んだが多勢に無勢、女性は森の中へ引きずられていった。抵抗する彼女をイサウは殴った。その時、それ以上殴ろうとするイサウの手を取って止めた者がいた。
 カリフだった。
「オレの試しはどうする?」
「おまえなんかどうだってい・・」
 言い終わらないうちにイサウは殴られて飛ばされた。
 取り巻きたちが一斉にカリフに殴りかかったが、同じだった。みな、あっという間に地面に転がってうなった。
「おまえはロクな取り巻きをつけてないな。もっと早く用心棒を雇えばよかったんだ。」
 カリフは面白くなさそうに、つぶやくように口にすると振り返った。
 鳶色の瞳の白い女性は驚いた顔をした。
「あなたはあの時の・・。」
 カリフは黙って女性のそばにエントナを引いていった。
「あの時の子は?」
「エナンなら元気だ。」
「ありがとう。わたしはイリュといいます。あなたは?」
「・・カリフだ。・・どこの者だ?あまり街はずれをひとりで走るな。」
 イリュは答えずに笑ってうなずいた。そして咳き込んで少し血を吐いた。殴られたせいだ。
「オレの家で少し休むか?そう遠くない。エナンもいる。」
 そう言ってカリフはイリュが止めるのも聞かずエントナにまたがろうとしたが、エントナは抵抗してカリフを振り落とした。
「ごめんなさい・・。」
「イリュの言う通りだ。こいつはたいした玉だ。」
 カリフは腰に手を当てながら苦笑した。
 イリュは身軽にエントナにまたがると、白い手を差し出した。
 その手を取ってカリフはイリュの後ろに飛び乗った。
 エントナは走り出した。
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4*遺跡守
 馬の蹄の音を聞いてエナンは家の中から飛び出した。
 夢のようだった。あの美しい人とカリフがエントナから降りるところだった。
「エナン?」
 あの優しい笑顔が自分の名を呼んでいる。
「イリュだ。怪我をした。少し休んでいく。」
 カリフはぶっきらぼうに言うとエントナを家の裏につなぎ、イリュを中に案内した。
 エナンはうれしくて、イリュの前に角ヤギのミルクやら、揚げマムやらスウプやらを並べ始めた。
「お父さんは強いのね。助けてもらったのよ。」
 エナンはうれしかったが、首を振った。
「父さんじゃない。カリフはカリフだ。」
 イリュが首を傾げると、カリフはポツッとつぶやいた。
「オレと同じでそいつは身寄りがない。」
「そう・・。」
 エナンは自分の首からぶら下げていた袋から、銀貨を1枚取り出してイリュに渡した。
「返すよ。これ。」
「使わなかったの?」
「うん。」
「ばかなやつだ。お守りにしてたのか。」
 イリュはカリフがそう言うのを聞いて微笑んだ。
「持ってて。お守りにしていればいいわ。どうしてもお腹がすいたら使っていいのよ。」
 その晩、イリュはそのまま留まった。
 エナンはイリュの歌を聞きながら眠った。
 エナンにやさしく触れるイリュの手はあたたかく、エナンはとろけるように眠りの淵に引き込まれていった。
 
 翌朝早くイリュはエントナの手綱を引いた。
 起さないようそっと出てきたつもりだったが後ろにカリフが立っていた。
「行くのか?」
「ええ。ありがとう。」
「もうひとりであの道は走るな。」
 そう言ってカリフは家に入った。
 イリュはしばらくそこにたたずんだが、エントナに飛び乗ると朝もやの中を駆け去っていった。
「イリュは?」
 エナンは起きるとイリュがいないことに気がついてカリフに問うた。
「もう帰った。」
「また来る?」
「もう来ない。」
「・・・。」

 イサウとその親は怒って酒場の主人に怒鳴り込んで来た。
 だが、主人は平然と言った。
「ぼっちゃんが試すと言ったんですよ。やめときゃよかったのに・・。カリフは試されただけだ。ほら、金は返します。なんでもぼっちゃんは通りかかった娘に乱暴しようとしたらしいじゃないですか。また評判が立ちますな。こういうのはあたしが黙ってても広がるもんで・・え?あ、そう、いいですよ。別のを紹介しますよ。もっともこの界隈でカリフに一度でも倒されてないやつはいないけどね。」

 イリュはまた来た。
 籠いっぱいのマムや緑桃の黒糖漬けを抱えて、エナンの元にもどってきた。
 カリフは可笑しいくらいうろたえて不機嫌そうに部屋を歩き回った。
「ひとりであの道を走るなと言ったはずだ。」
「ええ。だから違う道を来ました。」
 だがイリュは1日いるとまた朝もやの中を帰っていく。
 そして2週間も姿を見せなかった。
 どこから来るの?とエナンが問うても、ただ笑って答えなかった。

 ある時、エナンはふたりが言い争うのを聞いた。
「あなたはほんとうはまっすぐなひとだわ。どうしてお酒に逃げるの?どうして自分の人生から逃げるの?」
「何も分かっちゃいねぇ。オレはまっすぐなんかじゃねぇ。おまえを助けたのは気の迷いだ。元々飲んだくれでどうしようもないやつなんだ。もう来るな!」
「イリュ・・。」
 エナンは心配になってイリュのそばに寄った。
「エナン・・。」
 イリュは涙をこぼしてエナンを見た。
「遺跡守が聞いてあきれる!こんな汚れた男のところへ!」
「イリュは遺跡守なの?」
 エナンは聞いた。
 イリュはうなずいた。
「カリフ・・。遺跡守だとどうしてここへ来ちゃいけないの?」
 今度はカリフにエナンは聞いた。
「遺跡守はオレらとは違う。汚れを遺跡に持ち込んじゃいけねぇんだ。街に来るのが間違ってる。」
「汚れてなんかないわ。カリフの中には真っ白な魂がちゃんとある。」
「うるせぇ!」
 カリフはイリュを殴った。そして大きな音を立てて扉を閉め、家を出ていった。
 エナンは倒れたイリュに駆け寄った。
「だいじょうぶ!?・・どうしてカリフはイリュのことを殴るの?」
「・・自分の魂をちゃんと見るには・・痛みをともなうこともあるの。それに耐えるにはカリフの傷は深いの・・。殴られる人だけでなく、殴る人も痛いのよ。」
 それでもイリュは来た。
「また来たわ。」
 カリフは何も言わなかった。
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5*兄を遣わしたもの
 カリフは相変わらずその日暮らしで、エナンはそれを手伝っていた。
 だが時々イリュのいるエトナの遺跡までエナンは足を伸ばし、遺跡の石柱の影に座り込むようになった。
 エナンにとってイリュはなくてはならない人となっていた。

 エナンがイリュに会えなかった遺跡の神事の後、久しぶりにやって来たイリュは体調をくずしてカリフの小屋でしばらく寝込んだ。
 エナンはかいがいしく食欲のないイリュの世話をした。
 するとある朝、突然イリュは言った。
「馬に乗れないから遺跡に帰らないわ。」
「どうして?」
 エナンが問うと、イリュはうれしそうに微笑んだ。
「カリフの赤ちゃんが生まれるわ。」
 カリフは驚いた。
「まさか!」
 ほんとうだった。日に日に大きくなっていくイリュのおなかがそれを物語っていた。
 
 エナンが井戸の水を汲み上げている時、その人はやってきた。
 カリフはいなかった。
 イリュが扉を開けて、マントを深く被ったその人を中へ入れた。
 エナンは水を汲んでいた桶を放り投げて家に走った。
 扉を開けるとその人は振り向いた。
 美しい銀髪のイリュによく似た中年の女性だった。
「エナン。母のイリスよ。」
 その人は言葉なくエナンにうなずいて、またイリュに向き合った。
「遺跡守は誰にでも継げるものではない。遺跡守として生まれたおまえには務めがある。そこから逃げることはできない。おなかの子に哀しい想いをさせることになる。おまえには遺跡を捨てることはできないのです。」
「母さん。遺跡を守ることだけが“兄の心”を守ることではないわ。“永遠の光”はどこにでも灯っている。」
「むろん。そうさ。だが、おまえの運命はおまえが想うほど軽いものではない。1万年続いたものを守るということがどういうことかわかっていない。おまえは自分ともうひとりの絶望を救おうとしてあらたに絶望を生もうとしている。」
「いのちのことを絶望と呼ばないで。絶望をまとっていたとしても希望を育んでいるのよ。」
「わかっているよ。わかっている。」
 そう言ってイリスはイリュの手を自分の手のひらで慈しみ深く包んだ。
「おまえはおとなしくしておれない娘だった。幼い頃から。遺跡守は街には行ってはいけないと言っても聞かなかった。おまえはほんとうににんげんが好きだったから。そんなおまえをわたしは愛しているよ。・・だが、わたしたちにはどうにもならないこともある。それを引き受ける覚悟だけはしておいで。明日また来る。」
 イリュは黙った。
 イリスは待たせていた馬車に乗った。そして去った。
「イリュ・・。」
「エナン・・。」
「兄の心ってなに?永遠の光ってなに?イリュはそれを守ってるの?」
 イリュは微笑んだ。
「エトナの遺跡に来たことがあるでしょう?ペキニの街を治めたのは“兄の民”なのだけれど、その兄の民がはじめにやって来たのがそこなのよ。そこには兄と、兄を遣わした者を祀っている。わたしはそこを守っていかなければならない家の者なの。」
「兄をつかわしたものって?」
「大きなものよ。わたしたちがここに生きているその理由(わけ)の大元。すべての始まりであり、世界の中心であり、未来を形づくる図り知れない意志。そしてそれはあたたかい手のひらでもあるわ。」
 エナンはぽかんとした顔をしてイリュの顔を見つめた。
「・・こっちへ来てエナン。」
 イリュは微笑んでエナンをそばに座らせた。
「兄の民は素朴で誠実でほんとうの意味で強かった。“永遠の光”を心から信じ、暮らしの中で守ってた。それが“兄の心”。その兄の民の心にふれて、ペキニで大きな争いを繰り返していた弟の民は1万3千年かけて融和の方へと進みつづけてきたの。まだまだほんとうの融和への道は遠いけれどね。」
「永遠の光ってその、ゆうわのこと?」
「そうね。」
「ゆうわってなに?」
「愛しあうことよ。」
「愛しあう?イリュはそれを守るためにつらい想いをするの?」
 イリュは首を傾けて黙った。けれどもすぐにあの暖かいまなざしを向け、エナンの頬を両手で包んだ。
「大丈夫よ。心配しないで。」
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6*慟哭
 その晩、カリフはずいぶん遅くに飲んだくれて帰ってきた。
 眠っていたイリュとエナンは扉を閉める大きな音に起こされた。
 様子を見に起きてみると、カリフは扉にもたれて倒れ込むように足を投げ出して座り込んでいた。
「カリフ・・。」
 虚ろな目をして顔を上げたカリフはそばに寄るイリュの大きなおなかに、表情を変えた。
「やめろ・・。産むのはよせ!生まれたってろくなことはない!」
「カリフ。どうしたの?」
「おまえが産むのをやめないなら、オレが終わりにしてやる!」
 そういうと、カリフはふらつきながら立ち上がってイリュを殴った。
「カリフ!やめて!酔ってる!」
 エナンは叫んでカリフにすがった。
「うるせぇ!すっこんでろ!」
 そう言ってエナンを部屋のすみに突き飛ばし、そのまま凄みのある顔をして、イリュに迫っていく。
「イリュ!」
 エナンは部屋にあったカリフの剣を、カリフに向けて構えた。
「やめて!やめないと刺す!」
 カリフは目をぎらぎらさせてエナンの腕をつかんだ。
 揉み合いになった。
 イリュが叫んだ。
「やめてエナン!危ない!」
 低いうめき声が響いた。
 大きな音を立てて倒れたのは・・カリフだった。
「カリフ!」
 エナンは自分の手から血が滴り、真っ赤に染まっているのを見た。
 カリフの胸にカリフの剣が刺さっている。
 イリュは叫んだ。
 エナンは棒立ちになった。
 倒れて動かなくなったカリフを呆然と見下ろした。
 カリフが倒れた床に深紅の血だまりがみるみる広がっていく。

 カリフの息はあっけなく絶えた。

 エナンは泣くことも出来ず凍りついた。
 カリフにすがったイリュはカリフが息を引き取ったことをしばらく呆然と受け止めていたが、エナンの瞳が虚ろに凍るのを見て気丈に耐えた。
 イリュはカリフの瞳を静かに瞑らせた。
 そしてエナンを抱き寄せて声もなく泣いた。
「あなたはわたしとおなかの子を守ろうとしたの。誰も責められないわ。あなたとわたしの哀しみはひとつよ。」
 
 街はずれの道が二股になったところに来た。
 この道を右へ行くとエトナ。左に行くとタスチフだ。
 エナンは振り返った。
 ペキニに来て4年が経とうとしていた。
 今また、どこに行く当てもなく夜明けの道をゆこうとしている。
 イリュが目を離したスキに家を出た。もう二度と会えないだろう。
 エナンはそこで初めて天を仰いで両手で顔をおおった。
「カリフ・・カリフ・・!」
 慟哭はまだ暗い森に響いた。
 12歳くらいになろうかという頃だった。
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7*山賊
 歩いても歩いても立ち止まることが出来なかった。まるで地の果てへと向かうようにエナンは何も食べずに歩き続け、二晩経った頃道端に倒れ込むようにして眠り込んだ。
 通りかかった馬車が止まった。
「生きてるのか?」
「だいじょうぶか?」
 南なまりの声がした。
 エナンはぼんやりと目を開いた。
 水をくれた。
「行くとこはあるのか?食べるか?」
 そういって親切にマムをくれた。
「オレたちは峠を越えて南に帰る。そっちへ行くんなら乗せてってやるぞ。そこに寝てるわけにもいかないだろう?」
 エナンはうなずいた。
「名前は?」
「・・。」
 名を告げる気力もなかった。
 ふたりの男は聞くのをあきらめてエナンを馬車に乗せると、馬に鞭をふるった。
 疲れ果てたエナンはすぐに眠り込んだ。

 山道で陽はとっぷりと暮れ、男たちは焚き火を焚いて酒を飲んだ。
 声を低くして話していたが、エナンはある言葉に反応して目を覚ました。
「・・あんなで売れるか?口がきけるかもわからないぜ。」
「もうちょっと食べ物をやって精がついてきたら口をきくかもしれねえじゃねぇか。別に少々おつむが足りなくたって馬と同じで五体満足なら働き口はいくらでもある。」
「まあ、そういうこった。」
 そう言って笑い合った。
 エナンは身を起した。
(人買いだ・・。)
 しゃべっている男たちに気づかれないよう、馬車の後ろからそっと降りた。
 逃げようとして枝を踏んだ。
「誰だ?」
 男に気づかれた。
「待て!この野郎!逃げる気だな?」
 もうひとりの男がさっきまでの優しそうな仮面を脱ぎ捨てて恐ろしい顔をしてエナンに迫って来た。
 その時、突然焚き火のところから悲鳴があがった。焚き火のところにいた男が断末魔の形相をして倒れこもうとしていた。
 その後ろにはいつの間に忍び寄ったのか、覆面をした5、6人の男が炎に剣を光らせてまるで闇のように林立していた。
 エナンの腕をつかんでいた男はあわてて叫んで逃げようとした。
「山賊だ!」
 一瞬にして男はエナンの目の前で一振りで山賊に切って捨てられた。
 男を切った山賊が、立ちすくんで硬直しているエナンの腕をつかんだ。
 その後ろの男がエナンに言う。
「オレたちと行くか?見込みがあるようなら使ってやる。いやならアドの剣の餌食になれ。」
「・・。」
 答えないエナンを見て、ひんやりした目を持つその男はエナンを無視して仲間に指図した。
「荷を運べ。」
「ちっ。たいしてねぇなぁ。」
「馬車ごと持ってけ。」
 エナンの腕をつかんでいた男が剣を振りかざした。
「・・行く。」
 エナンはやっと声を出した。
 頭目らしき男はエナンを振り向くと、
「さっさとしろ。」
 とだけ言って馬に乗った。
 奪った馬車ごと根城にもどった男たちは、荷から酒を取り出すと、さっそく酒盛りを始めた。
 エナンは空腹のあまり馬車の中で座り込んだまま半分意識を失っていた。
 横っつらをはたかれて目を覚まさせられた。
「ほら、喰え。ちゃんと喰って働けよ!」
 太ったヒゲをはやした男が、こげたマムと焚き火で焼いた何かの肉をエナンの顔の前に突き出していた。
 エナンはそれを受け取ると、ぼそり・・ぼそりと口にし始めた。
「切っちまえばよかったのよ。」
 誰かが言う。
「アキシモのかわりだ。その方がおまえも都合がいいんじゃないのか?」
 頭目の声がした。
「あいつも飯を作るのがうまくなかったが、おまえのはもっとひどい。」
 別の男が野次って、男たちは笑った。
「小僧より、どっかで女を拾ってくりゃいいじゃねえか。」
 頭目が鼻で笑った。
「女を連れてるとすぐに仲間割れする。そうだろ?それでアキシモをおまえが殺ったんじゃないか。もう仲間を殺るなよ。3人目だ。今度やったらオレがおまえを殺す。」
 エナンは口にしようとした肉を持っていた手を降ろした。食欲が萎えてしまった。マムだけを押し込むように飲み込んで、横になった。

 陽が高くなって、叩き起こされた。
「おまえ、飯が作れるか?」
 エナンはうなずくと、鉛のように重いからだに鞭打って川へ水を汲みにいった。
 夕べの残りの肉を塩と発酵酒で煮てスウプを作った。
 太ったヒゲの男が味見して、うなずいた。
「食えるじゃねえか。おい、めしだ!」
 酔いつぶれた男たちに声をかけた。
 頬のこけた若い男が聞いた。
「小僧、名はなんという?」
「・・・。」
「名がないのか?忘れたのか?・・じゃ、アキシモにするか?」
 目をぎらぎらさせて若い男は低い声で笑った。
「・・。」
「決まりだ。アキシモ。」
「名がないならつけてやる。」
 頭目が低く揺るぎない声で若い男を制した。
「ハザン(名無し)だ。飯が終わったら馬の世話をしとけ。」
 若い男に向かって言った。
「デズ。ようやくおまえの飯を食わなくてすむな。」
「エロー・・。」
 デズは少し面白くなさそうにフンと言って離れていった。
「あいつは酒の飲み過ぎだ。しまいに使い物にならなくなるぜ。」
 太ったヒゲがエローにささやいた。
「おまえは食い過ぎだ。コギ。馬が走らなくなるぞ。」
 コギは品悪く笑った。
 もうひとりはほとんど口を開かずにいるソン。何を考えているのかわからない。エローと同じくらいひんやりとした目をしている。
 あとはアド。この男も鋭い目をしていて眉間に大きな傷があった。この男が人買いを一振りで切り捨てた。
 カリフもまっとうとは言えなかったが、この男たちは人を買うどころか、人を殺すことをなんとも思っていない連中だった。
 エナンは今日生きるために心を殺した。
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8*エナンの死
 何日かに一度、連中は山を通るものを襲い、物やいのちを奪う。
 特にデズやコギやアドは、まるで物を奪うよりもいのちを奪う方に自分たちの心を奪われているかのようだった。
 気まぐれにエナンを助けたが、時には子供に手をかけることもあった。
 エナンはコギに尋ねた。
「どうして人を殺す?脅せば荷を置いて逃げるじゃないか?」
「どうして?おまえはどうしておまんまを食う?」
「生きていけないからだろう?」
「それと同じだ。俺達にとっちゃ、それが生きるってことだ。」
「どうして?」
「すかっとするのよ。」
 エナンは言葉を失った。
「面倒なことを言うと殺すぞ。おまえもやってみりゃあ、わかる。」
「オレはすかっとなんかしない!オレは!」
「おまえも人を殺したことがあるだろう。」
 エローの声がした。
「目をみりゃわかる。オレと同じ目だ。オレは10歳で人を殺した。だからオレはおまえが使えると思った。2人目、3人目になれば慣れる」
 エナンはエローの見透かすような目を見てぞっとした。
 その晩、エナンはうなされた。カリフの最後の顔とイリュの叫び声を夢に見て、冷たい汗をかいて飛び起きた。
(オレはエロー達と同じ目をして人殺しをすることでしか生きていけない人間になるのか?)
 肘がかすかに震えていた。両手でそれを抑えるように自分を抱き締め続けた。
(いやだ!カリフ!・・殺したくなかったんだ・・。)

 今日も山に悲鳴があがった。
 聞き慣れていくことが恐ろしかった。やがてそれも恐くなくなっていくことがなによりも恐ろしかった。
 家族だった。父親と母親は殺され、小さな娘が残された。
 コギとデズがニヤリとエナンを振り返った。
「そろそろおまえがやる番だ。子うさぎならおまえの獲物にちょうどいいだろう?」
 泣いている小さな歩き出したばかりのような女の子を前にして、エナンは蒼白になった。
「わけもない。狩りだと思えばなんのこたぁない。」
 渡された小刀を持つ手がわなわなと震えた。
 男たちは笑いながら見ている。
「どうした?手が震えてるぜ、ハザン。」
 キンと張った糸が切れた。
 エナンは小刀を投げ捨てると頭を抱えて叫んだ。
「わあーーーっっ!!」
 男たちはエナンの形相を見て一瞬黙った。
「気が狂いやがったか?」
「ハザン。肝がねえな。やらねえのか?」
「オレはハザンじゃない!もうたくさんだ!」
 そう言って森へ駆け込んだ。
「待て!ちきしょう。追え!」
 エナンはそれこそ気が狂ったように駆けた。
 だが、追って来るのは屈強な男ばかり5人だ。中でも足の速いソンにすぐに追いつかれた。
 首根っこを掴まれた。
「オレはカリフだ!オレはオレが殺したカリフとして死ぬ!もうたくさんだ!殺したくない!」
 ソンは表情を変えなかった。
 だが、その冷えきった瞳の奥に、何かが揺れた。
 すばやくエナンの肩口に剣を滑らせて血をにじませると、
「死んだふりをしろ。」
 とだけ言ってエナンを地面に突き飛ばした。
 男たちが追いついた。
「おまえの足にはかなわねえな。先を越されたか。」
「もう済んだ。」
 口数少なくソンがそう言うと、アドやコギは「ちっ。」と舌を鳴らしながらさっきしとめた獲物の方へともどっていった。
 デズは憎々し気にエナンを蹴り上げると、ソンやエローの顔をふてぶてしく白目で見上げ、そうしてもどっていった。
 エローは何も言わなかった。
 しばらくソンとエナンを見つめていたが、ゆっくりときびすを返した。
「南に向かえ。昼の太陽の方だ。」
 それだけ低い声で告げるとソンももどっていった。
 
 なんの気配もなくなって、エナンはゆっくりと起き上がった。
 肩の傷はじんじんとうずいたが、ほとんど口を聞いたことがなかったソンの沈んだ声が頭に響いていた。
(・・カリフ。オレはカリフとして生きてく。もうエナンは死んだ。今日からカリフだ。それしかカリフにオレができることはないんだ・・。)
 月明かりの下、道なき道を下った。
 沢に出て、水を飲んだ。
 小さな女の子の顔が浮かんで、吐き気がして涙がにじんだ。
 泣きながら沢沿いに山を下った。
 ソンが言った通り南に向かった。
 そこにはタスチフという街が開けている。
 ペキニの次に大きい街だった。
 海に近い。
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9*蟻
 カリフは疲れ切ったからだを引きずるようにしてタスチフの街に入った。
 夜は更けていた。
 歓楽街の店の裏のごみ箱を漁って捨てられた食べ物を拾った。
 そしてごみの横に座り込んで涙の枯れたギラギラした目をして中空を見ながらその肉片をかじった。
 自分の目が今、デズとさして変わらないことに気づきながら、ただ生きるためにカリフは肉片を飲み込んだ。
 いつの間にか眠り込んだらしい。
 裏口が開いてごみを出そうとした店主が、カリフに気づいた。
「なんだおまえは?乞食か?うちのごみを漁るんじゃない!」
 獣を追うように手で払った。
 ふらふらと裏路地から裏路地をさまよった。
 ひときわにぎやかな路地に出た。着飾って化粧のにおいをぷんぷんさせた女達が、男達と嬌声を上げている。
 人混みに突き飛ばされながらようやくカリフは喧噪を逃れて1軒の慰み宿の裏口の石段の影に座り込んだ。
 もうくたくただった。ボロ布のようにそこに座ったら動けなくなった。
 気を失うように前後不覚になった。
 
 水をぶっかけられて目覚めた。陽は高くなっていた。
「生きてるかい?」
「生きてやがる。どうするよ?」
 中年の女と男がカリフを見下ろしていた。
「汚い小僧だね。どっかに捨てておいでよ。」
「捨ててもいいが、下働きが逃げたばっかりだ。試してからにすりゃいいだろう。人買いから買うと高い。」
 女は首をすくめて、店に引っ込んだ。
「おまえ、名は?」
「・・カリフ・・。」
「働かねえならすぐに売るぞ。中へ入れ。その汚ねえ服を着がえろ。」
 男は着替えたカリフの前にスウプとマムを乱暴に置くと言った。
「まず食って、それからだ。オレはガダ。さっさとしろよ。ぐずは要らねえ。」
 むさぼるようにカリフは食べ物をのどに押し込んだ。急いたあまり咳き込んだ。

 カリフの仕事は掃除・洗濯・一切の裏方の雑用だった。
 ガダは人使いが荒かった。深夜までこき使われ、おまけに少しでも仕事に手を抜くとしこたま殴られた。店に出る女達と違い、裏の者は顔が腫れ上がろうがかまわない。
 カリフのことを「捨てちまえ」と言った女はここの女将だった。金勘定の好きなこずるい女将は愛想のよくないカリフのことは虫が好かないらしく、何かと嫌味を言い、邪険にした。
「細いくせに食うね。食うだけの働きすりゃいいけどね。逃げちまったやつの方がましじゃないのかい?」
 ガダは馬を働かせるようにものだけはちゃんと食わせたが、女将はガダがいないとカリフの食事を抜くこともあった。
 空腹に耐えかねて女将の目を盗んで台所から食べ物を盗った。
 だが、それを見つかってガダに殴られた。
 女将はカリフを踏みにじるような蔑んだ目をして悪態をついた。
「手癖のわるいガキだよ!捨てちまいな!」
 カリフの中に殺意が湧いた。
 人を殺したくなくて逃げたのに、皮肉なことに逃げても殺意は追いかけて来る。
 今までほんとうに人を憎んだことはなかった。だが、擦り切れた心には憎しみの種はよく育った。
 自分が馬よりも価値のない生き物のように思えた。人間として生きられなくなった人間には、生きるということ、つまり逃げるということすらできなくなってしまう。

 3年経った。
 カリフの目は荒み切っていた。
 深夜になってやっと寝床に倒れ込むと、差し込む月明かりを虚ろな眼で見つめた。
(オレが生きていることになんの意味がある?ソンが殺してくれた方がよかった。いや、いっそ生まれてこなければよかったんだ。そうすればカリフを殺すこともなかった。オレがカリフの名を継ぐこともなかったんだ。・・ハザンのまま死ねばよかった。イリュ。兄をつかわした者なんかいない。生きる理由なんかない。世の中はふた通りなだけだ。家族や富があってぬくぬくした人生を送るやつと、蟻地獄に落ちるようなやつと。オレはその蟻だ・・。世の中を恨んで、そして人を殺すか、殺されるか。それだけだ。)
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10*風
 ある晩、カリフは客が預けた馬を引き出してきて、その客に連れられて店を出るまだ若い女を見た。
 まだ二十歳にもなろうとしていないような娘は青い顔をして虚ろな目をしていた。
 馬番に聞いた。
「どうしたんだ?」
「金で飼われたんだ。奴隷同然だ。もうもどって来ない。」
「もどらないで、どうなるんだ?」
「ひどい目にあわされて早晩おッ死ぬだろう。そしてまた替わりを買いに来るのさ。気をつけろよ。買われるのは娘だけとは限らない。前にいたおまえくらいのやつは目をつけられて連れてかれた。」
 3ヶ月もした頃、カリフはまたあの客が店に来るのを見た。
 その男の目はエローのように冷たいだけでなく、底深く暗く濁っていた。
 気に入った女がいなかったのか、すぐに男はひとりで出て来た。その後ろを追って女将が機嫌をとるようにあからさまな芝居がかった高い声で笑ってついてくる。
「まぁまぁ、また新しい娘を入れておきますから、これにこりずにまたいらしてくださいな、だんな。」
 男は女将を無視して馬の手綱をとろうとした。
 その時、馬を引いていたカリフに気づいた。
「こいつは?」
「下働きのカリフです。」
「安くするか?」
「え?こいつですか?ええ、ええ、お安くしときますよ。他ならぬだんなのことですから。」
 男は金貨を2枚女将に放ると、カリフの服をつかんだ。
「乗れ。」
 有無を言わさず馬に引き上げられて、カリフは擦り切れるように働かされた宿を後にすることとなった。

 馬は街の中心部へと走った。
 カリフには生まれてこのかた縁がなかったような豪華な屋敷が立ち並ぶ中の、1軒の豪邸へと男は入っていった。
 男の名はエンライ。タスチフでも指折りの金持ちだった。金で人も名誉も買えると思っていた。実際そうしていた。
 陰では人を買い、奴隷のように扱い、表の顔は慈善家を装っている。
 エンライはカリフにまずこう言った。
「一切の口答えを許さない。わたしがしろといったことは駆けてきてやれ。遅れれば遅れるほど鞭の数は増える。わたしが主人だ。おまえは犬だ。わかったら次の間で控えろ。」
 ガダは乱暴で、女将は意地悪だったが、まだ単純だった。
 エンライは紳士のような格好をし、外でそう振るまっていたが、一皮むくと自分のうっぷんを晴らすための専用の使用人をまるで消耗品のように扱う趣味のある男だった。
 言うことはくるくる変わり、気まぐれに無理難題を言いつけてくる。そうして人の神経をすり減らすことを、まるで喜びとしているかのようだった。
 そのことを知っているのは昔からの使用人の男ひとりだけだった。
 カリフはその男に聞いた。
「前にここへ来た髪の長い茶色い瞳の人は?」
 男は答えた。
「死んだ。」
「なぜ?」
「エンライ様に逆らったからだ。・・おまえも長生きしたかったら逆らうな。」
 真夜中だろうがエンライはカリフを呼ぶ。
 遅れると鞭が飛ぶ。
 カリフの神経はだんだんにすりきれて、それに比例して背中の鞭の傷も増え、治る暇もなく膿が出て腫れ上がった。
 カリフは上を向いて眠れなくなった。
「おまえはまだ自分を人間だと思っているな?おまえなどたった金貨2枚でわたしの所有物になったただの道具だ。死ねば替わりなどいくらでもいる。」
 エンライは寒気と吐き気のするような濁った目でカリフを見下した。
 熱が出て動けないカリフを呼んで、来ないと隣の控えの間にやって来てうつぶせて寝ているカリフに悪態をつき、その背中に鞭をふるう。
 声も出なかった。
(もう・・オレは・・死ぬんだろう・・。)
 熱があってもうろうとする意識の中で、カリフはぼんやりとそう思っていた。
 翌日エンライは出掛けた。
 エンライがいないというだけでカリフはつかの間の安息を覚えるようになっていた。
 カリフの希望は高望みからはどんどん遠ざかっていった。何も望まなくなったあたまを横たえて、ただ新たな痛みが襲ってこないことだけを願っていた。
 目をつむっているのか開いているのかも忘れた。
 その目の前にひらひらと何かが飛来した。
(・・?)
 色だけが認識された。
 朝日のように輝く淡い黄色をした何か。
 記憶のかなたのそれをようやく探り当てた。
(蝶だ。)
 窓の小さな隙間から入り込んだその蝶は、カリフに風を教えた。
(・・外は・・春・・なのか?)
 かつて味わった春のことを思い出した。
 どんな時も今よりはずっと生きていた。
 涙がこぼれた。
 ひとしきり泣いた。
 涙は凍え切った心を少しだけ融かした。
 うつぶせている顔を少しでも窓の方へと向けた。
 背中の痛みを忘れるように窓からの風に心を向けた。
 頬をなでるかすかな風を感じた。
 さっきから吹いていた風は今初めてのようにカリフに発見された。その時、なんともたとえようのない感情が湧き起こった。
 それはただの哀しみともつかぬなにか突き動かすもので、もっと根源的な、生命の琴線に触れる感情だった。
 さっきとは違う涙があふれた。
 たとえ肉体の牢獄に囚われていようと、それを感じる自由があるのだというもしかしたらそれは希望ですらあった。
 その感触だけをたよりに、この瞬間を生きようとした。
 一瞬痛みを忘れた。

 その晩のことだった。
 カリフは隣の部屋からすすり泣きがするのが聞こえるように思ってうっすら目を覚ました。
 すすり泣きの合間にエンライがぶつぶつしゃべる低い声が混じる。
「・・わたしはもうおしまいだ。・・助けてくれ。・・もうほっておいてくれ・・。」
「やつらはそういう星の元に生まれて来てるんだ。わたしはやつらを思うままにする力があるんだ。」
「・・わたしをせめるな。そんな目でみるな。・・来るな!・・」
「やつらは人間じゃない。わたしのものだ。道具だ。やつらに力などはない。」
「・・寄るな!・・助けてくれ・・」
 すすり泣きは明け方まで続いた。
 カリフは今までにないほどの言い知れぬ恐怖を覚えた。
 もうすでに力は尽き果てていたが、昼間の風の感触を必死で思い出し、瞬間でも生きる力を振り絞った。死に物狂いで眠り込んだエンライからの逃亡を図った。
 一足ごとに背中に激痛が走り、一歩は果てしなく、ひどいめまいに足をとられたが、それでも這うように門のところまで辿り着いた。
 何時間かかったかわからなかった。守衛のいない今は使われていない小さなその裏門で、精魂尽き果てて倒れこんだ。
閉ざされた高い塀の柵の間から倒れたまま震える手を伸ばす。もうこの先にからだは行けないが、自由の方へ、生の方へ、希望の方へ。
 目の前に咲く塀の外の路傍の花は、可憐な白い花びらを微かに風に揺らしている。
 カリフの瞳はその花の白い色を捕らえた。
 意識が遠のいていく。
 瞬間痛みは薄れた。
 目をつむったカリフの脳裏に白い花が映っていた。
(・・綺麗な・・花だ。・・さよなら・・つらかった日々・・。花はオレを・・見送ってくれた・・。)
 カリフの心に不思議な透明さが訪れた。
 夜が明けてこようとしていた。
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